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May 04, 2005

JR福知山線脱線事故の報道姿勢、これで良いのか

GW中どこに行くわけでもなく、普段見ないTVのワイドショーを見ていると脱線事故の話題で食傷気味になってくる。事故の悲惨さを伝え、被害者の怒りを伝え、そして事故の犯人であるJR西日本を叩く。報道として必要な事であるのは間違いないが、なんか引っかかるモノを感じる。

第一に野次馬的になっている事。別に人の不幸を楽しんでいるワケでは無いんだろうが、こんな不幸に自分も家族も遭っていない事を認識して、ある種の幸福感を味わってはいまいか。私自身そう言うところがあるからそれを非難するわけではないが、程々にして欲しいなと思う。報道とは別の「見たい人がいるから」と言うショーの要素でカメラを向けてはいまいか。亡くなった若者がどんな夢を抱いていたのか、そんな事は事故とは別の話だ。それが事故のせいで命を奪われたばかりかプライバシーまで暴き立てられる。そんな事が許されて良いのだろうか。遺族の怒りの訴えでもあるんだろうが脱線とは別の話、野次馬の要求を満たすための報道は程々にしてもらいたい。

第二にJRバッシングが行われている事。事故を起こしたのはJR西日本であるし、そこにJR西日本の安全軽視と疑われる企業体質が有ったのは事実だろう。ミスをした運転手に日勤教育と称して「いじめ」「見せしめ」があったのは事実だろう。日勤教育について言えば現場によって大きな差があったという。「いじめ」「見せしめ」の類もあれば、妥当なモノもあるだろう。それを「日勤教育」=「いじめ」と報道するのは正しくない。正当な部分も不当な部分も全て伝えるべきだろう。どうも「犯人=JR西日本」としてバッシングに走っているように思える。日勤教育報道の偏りはバッシングのためのフィルターがかかった結果だろう。叩けるモノは叩いて日頃の鬱憤やストレスを晴らす。反日デモで起こった日本バッシングに似ている。バッシングして相手が頭を下げれば溜飲が下がる思いで気分が良い。これでは報道が「いじめ」の類になってしまう。
それから、「JRに誠意が感じられない」との感想を報道やブログで良く目にする。突然の事故で誠意が感じられるような発言がされるのであれば、それこそ良く出来た危機管理マニュアルの「お詫びの章」に従ったものだろう。私には虚偽の誠意と映る。実際にはそんな事はない。私の目に映るのは、お詫びと反省と狼狽と自己保身だ。被害者は別として、反論出来ない相手に「誠意が感じられない」と言うのは「いじめ」だろう。

第三にJR西日本が犯人で終わっている事。上でも述べたが、事故を起こしたのはJR西日本であるし、そこにJR西日本の安全軽視と疑われる企業体質が有ったのは事実だろう。それでJR西日本=犯人で終わってしまっている。何故「1分も遅れてはならない」とされたのか、過密ダイヤが編成されたのか、高速化が求められたのか、あまり語られていない。それらを求めているのは我々利用者であり、社会である。経済最優先であらゆる事に高速化、効率化が求められている。JR西日本の企業体質はそう言った日本の、過競争自由主義経済が影響していると思う。それを正す事は容易な事ではないが、少し立ち止まって考えてみる時期ではないか。そんな視点もあって良いように思う。

こちらご参考まで

末筆ではありますが、事故で亡くなられた方々のご冥福と負傷された方々の一日も早いご快癒をお祈りいたします。

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