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May 04, 2005

JR運転手二人の選択

JR福知山線脱線事故の快速電車に通勤途中の同社運転手が乗っていたが、彼らは救助活動をしないまま出勤し業務に就いていた事が明らかになった。マスコミはまたもバッシングしているようだが、サラリーマンの感覚では当然の行動だと思う。(参考1)彼らは電車運転のプロでありレスキュー隊ではない。何が出来るというのか?事故現場近くの住民が救助に協力したと言うが、ペットボトルの水やタオルを提供したり負傷者運搬のために乗用車やトラックを提供したのであって、レスキュー隊員が行うような破壊された車両に入っての救命活動ではなかっただろう。素人がヘタに救命活動なんてするものではない。ヘタに現場をうろちょろするべきではないのだ。(参考2)

運転手二人にはペットボトルの水も乗用車も提供する術はない。車外に出た軽傷者の手当ぐらいは出来ただろうが、それは他の人にでも出来る事だ。彼らには彼らにしかできないことがある。もし彼らが現場に残って出勤しないと、彼らが運転するはずの列車が動かなくなるのだ。事故でダイヤがグチャグチャなのに運転手がいなくなると更に混乱が長引く事は容易に想像出来る。彼らは1分でも早い列車の正常運行に努めたのであるから、非難するには当たらないと思う。

報道では、運転手の一人は勤務先に連絡をいれたがもう一人はいれなかったという。どうもこの辺りは胡散臭いモノを感じる。「連絡は無かった事にしてくれ」なんてやりとりがあったのではと疑ってしまうのだ。
いずれにしても彼らは出勤し、業務に就いている。現場に残らなかった非難に対して「大きな事故だったので気が動転していた」と答えたようだが、ならばその精神状態で列車を安全に運行出来たのか疑問に感じるのだ。実際に事故無く運行出来ているようだから動転していたというのは疑問がある。二人とも勤務先に連絡をいれたが、「直ちに出勤して業務に就くように」と指示されたのではないか。列車運行の責任者の立場ではそれが正しい判断だろう。JR西日本バッシングの中、たまらず労働者に悪役を押しつけて様な気がしてならない。

しかし、列車運行の責任者も大きなミスを犯している。勤務先の事務所では正常の精神状態に見えても列車を運転するとどうなるか分からない。地獄の惨状が思い浮かんでまともに運転出来ないかも知れない。事故を起こした運転の状況を一番的確に想像出来たのは彼らだろう。地獄の惨状を仕事中に思い浮かべやすいのも彼らなのだ。そんな彼らに運転業務を指示したのは大きな間違いだ。結果的に事故はなかったが、事故がなかったから間違いもなかったというわけには行かない。何であろうと過ちは正されねばならない。

更に報道では、この二人の処分を検討しているという。事故列車の運転手は死亡してしまった。次の有力な証人がこの二人の運転手だ。事故車両に欠陥があったというような事がもしあり、それを証言されると非常に不味い事になる。その口を塞ぐためではないか。欠陥は根拠のない想像だが、そうでなくても会社に不利になるような証言はするなとの強要があるのかもしれない。
事故原因究明のためにはこの二人の地位保全が絶対に必要だ。会社側のそう言った強要が無くても運転手側がそう思い込んでしまう事もありうるからだ。その状態で処分の検討は真実を闇に葬る事になりかねない。

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JR福知山線脱線事故の報道姿勢、これで良いのか

GW中どこに行くわけでもなく、普段見ないTVのワイドショーを見ていると脱線事故の話題で食傷気味になってくる。事故の悲惨さを伝え、被害者の怒りを伝え、そして事故の犯人であるJR西日本を叩く。報道として必要な事であるのは間違いないが、なんか引っかかるモノを感じる。

第一に野次馬的になっている事。別に人の不幸を楽しんでいるワケでは無いんだろうが、こんな不幸に自分も家族も遭っていない事を認識して、ある種の幸福感を味わってはいまいか。私自身そう言うところがあるからそれを非難するわけではないが、程々にして欲しいなと思う。報道とは別の「見たい人がいるから」と言うショーの要素でカメラを向けてはいまいか。亡くなった若者がどんな夢を抱いていたのか、そんな事は事故とは別の話だ。それが事故のせいで命を奪われたばかりかプライバシーまで暴き立てられる。そんな事が許されて良いのだろうか。遺族の怒りの訴えでもあるんだろうが脱線とは別の話、野次馬の要求を満たすための報道は程々にしてもらいたい。

第二にJRバッシングが行われている事。事故を起こしたのはJR西日本であるし、そこにJR西日本の安全軽視と疑われる企業体質が有ったのは事実だろう。ミスをした運転手に日勤教育と称して「いじめ」「見せしめ」があったのは事実だろう。日勤教育について言えば現場によって大きな差があったという。「いじめ」「見せしめ」の類もあれば、妥当なモノもあるだろう。それを「日勤教育」=「いじめ」と報道するのは正しくない。正当な部分も不当な部分も全て伝えるべきだろう。どうも「犯人=JR西日本」としてバッシングに走っているように思える。日勤教育報道の偏りはバッシングのためのフィルターがかかった結果だろう。叩けるモノは叩いて日頃の鬱憤やストレスを晴らす。反日デモで起こった日本バッシングに似ている。バッシングして相手が頭を下げれば溜飲が下がる思いで気分が良い。これでは報道が「いじめ」の類になってしまう。
それから、「JRに誠意が感じられない」との感想を報道やブログで良く目にする。突然の事故で誠意が感じられるような発言がされるのであれば、それこそ良く出来た危機管理マニュアルの「お詫びの章」に従ったものだろう。私には虚偽の誠意と映る。実際にはそんな事はない。私の目に映るのは、お詫びと反省と狼狽と自己保身だ。被害者は別として、反論出来ない相手に「誠意が感じられない」と言うのは「いじめ」だろう。

第三にJR西日本が犯人で終わっている事。上でも述べたが、事故を起こしたのはJR西日本であるし、そこにJR西日本の安全軽視と疑われる企業体質が有ったのは事実だろう。それでJR西日本=犯人で終わってしまっている。何故「1分も遅れてはならない」とされたのか、過密ダイヤが編成されたのか、高速化が求められたのか、あまり語られていない。それらを求めているのは我々利用者であり、社会である。経済最優先であらゆる事に高速化、効率化が求められている。JR西日本の企業体質はそう言った日本の、過競争自由主義経済が影響していると思う。それを正す事は容易な事ではないが、少し立ち止まって考えてみる時期ではないか。そんな視点もあって良いように思う。

こちらご参考まで

末筆ではありますが、事故で亡くなられた方々のご冥福と負傷された方々の一日も早いご快癒をお祈りいたします。

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